栗田コレクション伊萬里名品選


日本で初めて作られた磁器は,伊萬里である。
伊萬里の誕生は肥前鍋島藩,今の佐賀県西 松蒲郡有田町で,帰化朝鮮陶工により,元和初年(1615年)頃創始したと伝えられている が,日本には何等の記録も残っていない。
オランダ東印度会社の交易の記録によると,日 本の陶業は,慶長10年(1605年)頃には誕生したとある。
伊萬里の名称は,その積出港で あって,陶器商人の本拠地であった伊萬里が,いつのまにか,肥前有田焼の正しい名称に 代って,伊萬里焼と呼ばれるようになったのである。伊萬里の圧巻である,豪華絢爛たる 赤の饗宴,天衣無縫の絵模様,或は強烈なエキゾチシズムを誘う創意にみちた作品等,す べて,有田の一隅にあった赤絵町を中心として,無名陶工達の寡欲の生活の中から生まれ たのである。

この伊萬里赤絵については,今日まで,初代柿右衛門が創始したと伝えられているが,こ れは重大な誤りである。
鍋島藩に於いては,赤絵付の技法が他に漏れることを極度に警戒 し,鍋島藩窯に於いてすら,その使用を許さなかったのである。即ち皿山代官から,赤絵 付業者は16軒に限って免許を得,厳しい統制のもとに,江戸末期まで,この16軒が独占的 に行っていたのである。
おそらく,日本最初の赤絵は,陶器商人が赤絵の魅力に惹かれて, 中国またはオランダ東印度会社から赤絵顔料を輸入し,中国人の指導のもとに始めたもの で,誰が創始者と断定することはできない。
以後鍋島藩の産業政策上厳重なる統制を受け たものである。

最も興味あることは,万治元年(1658年)から翌年にかけて,伊萬里磁器が,オランダ東 印度会社によって,長崎の出島から,アジア諸国及びヨーロッパ市場に大量に輸出された ことである。
然もその製品の評価は極めて高く,輸出された形状は実に100種類以上にも及 んだのである。
以来伊萬里の生産は飛躍的に上昇し,海外輸出は勿論,皇室,諸大名御用 の精品を始めとして,一般国内の需要も激増したので,たちまちにして,有田の地は,殷 賑を極め驚くべき発展をとげたのである。
その結果,他の色絵磁器に比して,全く想像の できない程複雑豊富な形状,模様,色彩となり,世界に於ける最も変化ある磁器を作るに 至ったのである。即ちあるものは,色鍋島の如く格調高く,あるものは乳白手素地に,優 雅な花鳥山水を描き,或は嘉靖,萬暦,康熙,雍正,乾隆写しを,或はヨーロッパ,ペル シャ,インド調と奇想天外の妙趣を発揮し,芸術の香り高きものあり,豪華絢爛たるもの あり,粉飾過剰の煩わしきものあり,一分の隙もなく張りつめたものあり,全部隙だらけ の馬鹿げたものあり,俗悪低劣極まるものあり,その神経の太さと,食欲には,全く圧倒 的なものを感ずるのである。

伊萬里磁器は大量に生産され,ヨーロッパ,アジアの人達に,また日本の貴族,豪商,庶 民に最も愛された,間口の広いものであって,蒐集するのにも,研究するのにも,これ程 面白い磁器は,他の如何なる焼物にもないのであって,われわれに無限の楽しみと喜びを 与えてくれるのである。
日本の隅々にあり,ヨーロッパ,アジアのいたるところの古美術 商にあり,伊萬里という焼物は,洋々たる大海を見るような,広い深いものである。